修験道 実践道場

芳山 一佛堂

芳山 一佛堂

金峯山流護摩道場

最新情報

(法要・体験修行など)

岳良さんと行く

知られざる吉野

中級編

令和7年4月19日(土)~20日(日)

  催行予定

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岳良さんと行く

知られざる吉野

(初級編)

令和7年3月22日(土)催行予定

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修験道のことば辞典

修験道

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  人間は、誰でも自然に対する畏敬の念を持っています。お日様が昇ってくると有難いと思い、大きな山や木、岩、滝などを見ると、大きな力を感じて有難いと思います。日頃は思いもよらないでも、何かの拍子で感じる自然への思い、これを自然崇拝といいます。この自然崇拝に、外来の仏教(なかでも密教)や道教、陰陽道などが融合して出来上がったのが、修験道という我が国独自の宗教です。今から1300年ほど前に実在した役行者をご開祖と仰いでいます。
 修験道という言葉の修は苦修練行、験は験得を意味します。つまり、深山幽谷に分け入って厳しい修行を積むことで、験(しるし=常人では為し得ない力)を得る道(教え)が修験道ということになります。

金剛蔵王大権現

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修験道のご開祖役行者が、全国の山々を開山された後、熊野から大峯の山々を越えて吉野に入る修行を三十三度行われました。最後に吉野山の南6里(24km)にある金峯山山上ヶ岳(俗に言う大峰山)の頂上で、末法の世(仏の教えが伝わりがたい世の中)を生きる人々を守護くださるご本尊を賜りたいとの一心で、一千日間の参籠修行をされました。その満願の日に、役行者の目前に釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましになりましたが、役行者はその柔和なお姿のままでは、荒ぶ衆生を済度しがたいと更に祈念し続けられました。すると、その三仏は静かに消えられて、今度は山上ヶ岳頂上が天地鳴動し、大盤石が割れ裂けて、そこから雷鳴とともに湧き出るがごとく現れられたお姿こそが金剛蔵王権現でありました。役行者は、そのお姿こそが末法の世を生きる人々のご本尊なりと感じ取られて、すぐさま山桜の木に、そのお姿を刻んでお祀りしたと伝えられています。これが修験道の始まりであり、金峯山寺の始まりです。
  金剛蔵王大権現の「権現」とは。神仏が違う姿になって現れられることを意味します。これに対して、変化する前の本当のお姿を「本地」といいます。金剛蔵王大権現は、役行者の祈りに応えて、最初に出現された釈迦、観音、弥勒の三仏が、その柔和なお姿をお捨てになって、姿を変えてお出ましになったのです。
 金剛蔵王大権現のお姿は、非常に恐ろしい、忿怒の形相荒々しいお姿です。まさに「こらっ!」と怒っておられるように見えます。人間が持っている魔性、あるいは今まで行ってきた悪行に、怒っておられるのです。でも、 このお姿は、ただ単に怒っておられるのではありません。まさに親が子を叱るように、慈愛に満ちた怒りなのです。このお姿を「恕」のお姿ともいいます。怒りの中にも全てを赦す「寛容」「慈悲」に満ちたお姿と言って良いでしょう。
 このお姿の前に額づくとき、思わず今までの行いを懺悔して、心の中の罪を全て吐き出して、これからの真っ当な行いを誓わせていただけます。お父さん、お母さんに甘えるがごとく、全てを打ち明ければ、必ず肩の荷を下ろさせてくださり、笑顔を生んでくださることでしょう。 

役行者神変大菩薩

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役行者は、修験道のご開祖として崇めれています。ほとんどが伝説の中で語られる人物ですが、日本書紀につづく我が国の正史の一つである続日本紀の文武天皇三年(685)五月二十四日の条に記される実在の人物です。舒明天皇第六年(634)の元旦に、大和国葛城上郡茅原の里でご生誕。幼少の頃から英邁利発で、当時の世相を慨嘆せられ、仏法を学ばれ、若くして葛城連山で修行され、さらに全国の山々をご開山。最後に熊野から大峯に入られ、金峯山山上ヶ岳の頂上で一千日間の参籠修行をされました。その結果、金剛蔵王大権現をご感得され、修験の道を開かれたのです。大宝元年(701)六月七日、摂津国箕面の天井ヶ岳で昇天されたとも、母公を呪術によって鉄鉢に入っていただき、ともに大陸に飛び去られたとも伝えられています。
 その一千一百年大遠忌にあたり、時の光格天皇様より「神変大菩薩」の諡号を賜っておられます。

止観

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禅定により動揺をはらって一つの対象に集中し、正しい智慧を起こして仏法を会得すること。少し簡単に言えば、心の動揺を押さえ止めて、物事の神髄を観ること。
簡単に言っても難しいのですが、要するに身体を整え、呼吸を整えたうえで一点を見据える続けることで雑念を捨て、心を空にするように努める行です。

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